スロプロをやって生計を立てていたころは、

幸せとは感じていなかった。

 

もちろん自由な時間や、お金(月50万程度の収入)もあった。

 

 

けど、日々なんか不安に襲われていたし、

気持ち的に沈んでいてテンションが上がることは少なかった。

 

 

だから、よく一人でお酒を飲みにいって気を紛らわしていたのかもしれない。

 

 

 

お金がある程度(月50万程度だし、不労ではないので微々たるものだったが)あっても、

時間もある程度融通がきいても何か満たされていなかった。

 

 

 

そういった経験を踏まえて今回は「幸せ」って何かっていう事を考えてみたい。

 

 

 

そもそも、「自由になって幸せになろう!」

とかよく色んなとこで言われているが、

それに感化されて、まずはスロットで「自由な時間」と「自由なお金」を作ろう

と思いサラリーマンを辞めて行動してみたが、

自由でお金があっても=(イコール)幸せとはならなかった。

 

自由と幸せって連動はして増減しない。

 

 

選択肢が増えれば増えるほど、

自分が何していいか分かんなくなるし、

微妙なお金や時間があっても本当に幸せな生き方とは言えなかった。

 

 

リタイアして、田舎でのんびり自由に余生を送っている人より、

田舎で毎日汗水垂らして農業やっているけど

その仕事に誇りを持っていて、本当に大事に育てている人の方が

はるかに幸福度は高いという事もある。

 

 

そう考えると、

僕がしていたとりあえず適度に趣味の釣りをしたり、

たまに音楽で遊んだりしていても、

なんだか日々に充実感がないというか、満たされない。

 

 

その状態は別に幸せを感じていなかった。

 

逆に正直あの頃は少し病んでた気がします。

 

結局無為と孤独に耐えられず、環境を変えるために無理やり遊んでみたり。

 

 

けど遊んでいると、遊んでるだけで人生過ごして本当にいいのかな?とも感じてしまいます。

(いやまぁ別にいいんですが)

 

これから先、ある程度の範囲内であればどんな生き方でも選べるわけですが、

いざ何かを選ぼうとすると、無限の選択肢があることに気づきます。

 

もはや目もくらむほどの数の選択肢です。

 

 

何をしてもいい、

何を買ってもいい、

何になってもいい、

どこで暮らしてもいい…

 

 

じゃあ何をして一度きりの人生を過ごすのが正解なのか?

 

多分ここでほとんどの人が自分のアイデンティティを見つめなおすことになります。

 

自由が当たり前になってしまうと別に幸福感はなくなってしまいます。

 

 

 

 

だけど、すでに情熱を注げるものがあったり、

自分にとっての幸せの形が明確だったりする場合は、

それほど迷うことはないと思います。

 

 

自由を目的にするのはいいですが、
行き過ぎた自由は心が強くないと耐えられません。

今度は孤独がやってきます。

自分は自由になったら何をしたいのか、
漠然とでもいいので考えておくことをお勧めします。

 

 

やっぱりまだ精神的自由の境地にはたどり着けていない。

ここの達成が一番難しいのかな。。。と感じています。

 

 

さて、「幸せ」ってなんなんでしょうか。

 

 

—–↓昔書いた自由と幸せについて考察してた時のやつ↓—–

読み直しはしないけど、当時と今では考え方が変わっていると思うな。

 

二つの面からの自由が必要になる。その二つが内部からくるものと外側からくるもの。

 

内側からくるものが感情面もものが多く主因が自分にあるもの

 

外側からくるものが他社からの見られ方っだったり他人との比較であったりする

 

 

 

内部的な原因

最近の自分の感情から推測するに内部的な原因としては

 

自由や幸せには3つの要素が必要なんですね

 

・経済的自由

・精神性的自由

・時間的自由

 

幸せ=自由=選択肢が多い状態と考えてください。

 

 

 

お金だけ とか

 

お金と時間 とか どれかが欠けていてはダメなんです。

 

 

 

お金を稼げば幸せ=自由になるのであれば、

宝くじで高額な賞に当たった人の9割が破産して不幸な道を歩むはずがありませんし、

専業スロッタ―がつらいわけがありません

 

 

 

では、スロッタ―の場合、本当の幸せ=自由には何が足りないのでしょう。

 

それは、環境に影響されずに心の自由を保てる精神のことです。

 

そう精神的自由です。

 

 

 

 

 

最強の自由とは、お金があって、心の自由を保っていられることだと私は思うのです。

私は度々、精神の進化の段階(以下ステージ)を上げることをオススメしています。

 

その理由は、ステージを上げた先に本当の自由があるからです。

 

 

 

 

 

私は過去「自由きままに生きていければ自由だ」と思っていました。

お金や時間に縛られない生活が自由だと思っていたのです。

しかし、いざ会社を辞めて稼げるようになると、逆に不自由になってしまったのです。

 

何をしても良いがために、自分の欲を満たすために生きるようになってしまったからです。

 

 

 

「いいなぁ」と思うかもしれませんが、時間やお金があったらあったで、

 

自分で自分を律する必要が出てくるから大変です。

 

人間は何もしなくてもよくなった時に堕落します。

 

 

 

そして、何のために生きているか分からなくなり、精神的な自由が無くなっていくんですね。

会社員時代は、仕事や環境が用意されていましたし、サボっていたら当然のごとく怒られました。

 

実はこういう制限やルールがある中で生きていた方が、悩まないで済むので精神的には自由なのです。

 

 

 

なぜこういうことが起きるかというと、人は選択肢が多いと混乱し、悩むからです。

 

悩むことによって精神エネルギーを消耗するので、上手くいかなくなるのです。

 

 

 

だからといって会社員が良くて起業するのが悪いとか、昔の人のようにやることを絞らないといけない、という話ではありません。

 

実際、起業して自由になる人もいます。しかし、自由になるには絶対に起業しないといけないわけではありません。

要するに「何をやっているか」よりも、どういう「意識」でやっているかの方が、自由度に関係があるのです。

つまり、ステージを上げることで周りの環境が変わっても、常に心の自由を保っていられるようになるということです。

 

 

 

外部的原因

外部的原因は他人との比較や他社からの見られ方で 幸せ=自由で ないと感じてしまいます。

 

 

 

外部的に永遠の精神的自由を感じるには、世界のネットワーク(壮大な繋がり)を

 

①感じること

 

②与えることです

 

この二つが必要になります。これは外部的世界を味方につける生き方です。

 

 

 

逆に、この世界のネットワークから遮断されている人は苦しみが増えます。

 

たとえば、世界から奪っている人や、世界との繋がりを感じられていない人のことです。

 

もし、仮に、あなたがたった1つでも周りの人に何かを与えたら、

 

それはあなた自身にも与えることになるのです。

 

そして、その瞬間、心の奥底から自由を感じることが出来ます。

 

 

 

要するに社会の役に立つことをやろうって事

 

それが内部からくるもの、外部からくるものの両方に対して 精神的自由を与える事になる