ギャンブル依存症対策案は実質カジノ対策のみの骨抜き対策と揶揄

カジノ実現に向けて議論されているギャンブル依存症対策ですが、本質的なギャンブル依存症対策とは言い難く、IR対策と揶揄されています。

日本でギャンブル依存症といえばパチンコが想起されます。開店前から列をなしている光景や、高齢者が多く押しかけているパチンコ屋の光景は異様に映ります。パチンコに対する依存症は以前から指摘されています。

さらにカジノを作るとなった時に心配されていたのが既存のギャンブル依存症者に加え、さらなるギャンブル依存症者を生むことになりますがその対策はどうするのか?といった点です。

ギャンブル依存症者の中には特定のギャンブルにだけ依存している人間は多くいることでしょう。宝くじや競艇に興味はないけれどもパチンコに行くことは止められないと言った人などです。これらの依存体質の人が他のギャンブルにも依存してしまうことは想像できます。そこでカジノ設立にあたってギャンブル依存症者の受け皿をきちんと整備しなおそう、根本的にギャンブル依存症者が生まれない環境を整備しようということが趣旨であるべきです。

しかしながらカジノ周りの整備は議論されるものの、既存のギャンブルに対する対策、ギャンブル依存症者の受け皿に対する議論は浸透せず、カジノだけをギャンブルとしたような議論しか行われていないため、ギャンブル依存症対策は骨抜きになっていると揶揄されます。

もちろんカジノによるギャンブル依存症者の発生、増加を抑えることは大切です。しかし、既存のギャンブル依存症者に対する対策を行わないことには数を減らすことはできません。そんなことは言わずともわかっていることだと思うのですが、各ギャンブルからの税収を収益源としている省庁や企業の圧力が強いのでしょう、そういったところはおざなりにされているということです。

日本は一定の水準までは成長を終えています。しかしながらさらなる発展を望むときにはこれまであったルールや文化を見直す必要があります。誰がどうみてもおかしいと首をかしげるパチンコ文化などをきちんと改める必要があるのではないでしょうか。カジノ設立と同時にその議論を行うべきだと思います。こういった慣習は歪を生み、後々の人間がつけを払わされます。ギャンブル依存症対策に限った話ではありません。自らの保身しか考えていないため、未来を見据えた議論が後回しになっているという印象が拭えませんね。

カジノ依存症対策を議論することはもちろん必要なことであり、カジノ周辺だけでもルールを厳格にすることは重要です。だからと言って他のギャンブルを野放しにするということはまったくもって筋が通りません。明確なルールを定めて欲しいものです。

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